バックパッカーの女性たち2014/03/19 11:43

 ここのところ二人続けて女性のバックパッカーに会いました。
 一人は世界一周をしようとアメリカから旅を始めたところ英語力が必要なことに気づき、これから1ヶ月ほどフィリピンで英語修行してからまた続きの旅行をするという人。英語が通じなかったために、アメリカでとても辛い目にあったと涙を流していました。
「でも、それでも続けるのですか?」と尋ねましたが、「バックパックで世界一周するのが私の昔からの夢だったんです」とさらに泣きます。そのために工場で働いてお金を作ったのだそうです。
 もう一人は、先週ボリビアから帰って来た人。その人はあちらこちらによく一人で行くようですが、あまり苦労はないみたいです。で、今回はボリビアの塩の湖がどうしても見たくて、一人で行って来たと言って、その写真を見せてくれました。確かに美しい幻想的な湖の写真でした。人生感も変わってしまいそうな。
 一方で、外務省にいる友人は、いつもそういう日本人旅行者のことで心を痛め、「邦人保護について、やれることは全部やる」と使命感に燃えています。
 そんなに国家に負担をかけながらもどうしてバックパックの旅行を、特に女性が一人でしたがるのか私には不可解です。
 私は今までに28か国に行きましたが、そのほとんどが先進国であり、注意しなければならないような地域や国には決して入らないようにしています。それでも何か起こるかもしれないし、その時には外務省に助けてもらうことになるかもしれません。
 一人目の、「どうしても世界旅行をやりとげる」と泣く女性に私は、「英語もいいけれど、キックボクシングとかマラソンもやった方がいいですよ。悪い人に勝つことはできないけれど、逃げることも大事だから」と言いながらも、ベネゼエラ人の友達のことを思い出していました。
 そのベネゼエラ人の彼女はいつも、「どんなに格闘技が強くてもだめ、ベネゼエラの泥棒は銃を使うから」lと言っています。私がどんなに一緒にベネゼエラに連れて行ってと言っても、決して首を縦に振りません。「危ない、だめ」と。
 この二人以外にも私の周りには難しい国を旅するのが好きな女性が何人かいます。そういうバックパッカーみたいな人たちがいてもいいと、今までは思っていましたが、気がつくと、「そういう人たちもいる」どころか、「あまりに大勢の」日本人が、特に女性のバックっカーが世界じゅうを歩きまわっています。
 外国旅行を甘く見過ぎています。もっとその国への研究も必要だし、言語や格闘技も必要でしょう。それでも銃で撃たれたり誘拐されたりして国家の負担になるかもしれません。どうやったらせめて私のまわりにいる女性バックパッカーを引き止めることができるのでしょうか。私には何もできません。

沖縄に行く!2013/09/20 11:13

 連休に沖縄に行って来ました。みんなに驚かれるのですが、何とはじめての沖縄です。
 気になるのは台風18号の接近でしたが、奇跡的に沖縄をそれてくれたので3日間晴天でした。真夏に戻ったような真っ青な空。暑い、暑い、とにかく暑い。マンゴーのソフトクリームや紫芋のソフトクリームを食べてしまいました。
 世界遺産を5つ見て、琉球の歴史を見て、第二次世界大戦を学び、沖縄の現代の生活も見てきました。沖縄料理も食べました。ソーキそば、タコライス、タコス、ゴーヤチャンプルー、海ブドウなどのよく知られている料理も食べたし、名前も知らないような沖縄の魚や不思議な豆腐などもいろいろ。すべては外国に行った時のような異文化体験でした。
 でも最後が大変。那覇空港20時20分出発の便だったのですが、何と2時間30分の遅延。関東地方に台風がいたので、東京から来る飛行機が大幅に遅れ、その飛行機が来なければ帰れないというわけでした。もっと台数に余裕があるのかと思っていました。
 そのため羽田に着いたのは夜中の1時。遅延していたのは沖縄便だけではなかったようで、「六花亭」の袋を持った札幌からの人たち、「博多通りもん」を持った福岡からの人たちなど全国から続々と遅延した飛行機が着くものだから羽田は大にぎわい。北海道からの最終便が到着したのが2時、タクシー乗り場は長蛇の列。2100人も待っていたと、あとになって聞きました。
 私がタクシーに乗れたのが2時45分。その時点でまだ10倍の人が残っていました。あきらめてラウンジで朝を待っている人も少しはいましたが、タクシー乗り場の皆さん、どこに住んでいるかわかりませんが、こんなに多くの人が旅行の後に、深夜タクシーで帰宅することができるなんて、なんと日本はお金持ちの国なのだろうと思いました。
 同時に、台風は航空会社の責任ではないけれど、費用は自分持ちでもかまわないから、「東京駅方面」とか「横浜方面」とか、いくつかの空港バスを出してくれればいいのに、とタクシー乗り場の2100人を代表して交通各関係者に訴えたいところであります。
 そして、家に帰ったらまた台風で少し屋根や外壁が壊れていました。嵐が来るごとに家が壊れて行きます。

秋田こまち、今でしょ、でも桜なし2013/05/08 11:33

 ちょっと前の話しになってしまいましたが、4月20日に秋田に行ってきました。「秋田新幹線こまち」に乗りました。残念ながらあの真赤な「スーパーこまち」ではありません。「スーパー」は一日に4本しかないので、時間が合わなかったのです。でも、秋田駅で待ち伏せして写真だけは撮ってきました。何と美しい新幹線。
 例年より寒くて秋田はまだ桜が咲いていませんでした。角館で途中下車して桜見物するはずだったのに、角館付近は桜どころか雪が積もっていました。
 思い返せば3月20日に九州新幹線で鹿児島へ行き、満開の桜を見ました。それから1ヶ月たってもまだ東北には桜が開花していないなんて、小さいとは言いながらも日本はけっこう南北に長いようです。
 さて、どうして秋田まで行くことになったかと言うと、秋田出身の友達の結婚式に呼ばれたからです。友達と言っても、ほんの数年同僚だっただけで、秋田まで結婚式に行くほどでもないと思ったので、「あなたの結婚はおめでたいが、私ははるばるご招待を受けるほどの者でもない」と一度は断りました。しかし、「東京で辛い気持でいた時にたいへん力になってもらったので、ぜひ来ていただきたい」と熱い言葉が返ってきました。
 私には彼女が東京にいる時、辛かったと聞いたこともなかったし、力になってあげた覚えもありません。でもそんなふうに言ってくれるのはありがたいと思い、秋田新幹線と花見も引っ掛けて出かけることにしました。
 結婚式ではお婿さんを見てびっくり。婚活サイトで出会ったという5歳下の東大卒の青年。職業は大手ゼミナールの講師だというのです。今はやりの職業です。予想通りに「今でしょ!」とみんなに言われていました。婚活サイトでこんな青年と出会えるものなのかと、感心してしまいました。
 帰りも秋田こまちに乗り、冬の風景を見ながら秋田の牛弁当を食べながら帰ってきました。翌日、ひきで物のバウムクーヘンが宅配で届きました。遠路持ち帰ることを配慮してくれたのでしょう。もし秋田で受け取っていたなら新幹線の中で一箱食べ切ってしまうところでした。危ないところでした。

九州へ行った(2)2013/03/27 12:34

 指宿から乗った観光バスで、鹿児島県なのに「長崎の鼻」という名前の岬に行きました。沿道に並ぶお土産屋で、黄色い巨大なミカンに目が止まりました。「晩白柚(バンペイユ)」です。前に九州で見たことがあって、どんなものかずっと気になっていたものです。
 値段を見たら200円。そんなに安いのなら買ってみようかと考えて、次の店で見たら1000円。どうして同じ果物にそんなに差が生じるのかと、200円で売っている店に戻って「どうしてこんなに値段が違うのですか?隣では1000円で売っていますよ」と言ってみたら、「ああ、いいですよ、うちも1000円で持って行って!」と返されました。200円のものを1000円にしてやるとは、どういうことなのかと、もう一度よく見たら1200円の札でした。それなら最初から1000円で売ればいいのにと不信感を覚え、結局もともと1000円で売っていた店で買いました。
 「送りますか?」と宅配便の用紙を出されましたが、「いや、持って帰ります」と言ったものの、これがたいそうな重荷で、それから2日間私はその巨大な果物を九州じゅう持って歩くことになりました。うちに帰って計ったら2キロもありました。調子に乗って2個買わなくてよかったです。
 大きくて面白いので、しばらく棚に飾って人に見せびらかしましたが、今朝ついにカワを剝いてみました。内側の白いカワが分厚くて、剝くのが大変でした。中からグレープフルーツのようなかたまりが出てきました。飾っていたのがよくなかったのか、最初からこういう果物なのか、房の中のミカンは水気なくパサパサでした。味は甘夏みたいにちょっと苦くて淡白な味です。でも晩白柚を実感できて満足。

九州へ行った(1)2013/03/25 14:19

 先週、用事があって福岡県に行って来ました。ついでに九州新幹線「さくら」に乗って鹿児島まで足を延ばしました。九州は何度も行っているのですが、鹿児島県は初めてです。だからちょっとはしゃいで指宿温泉で砂風呂に入ってみました。
 テレビで見ているのと全く同じで、砂浜に横たわると、係りの人がスコップで砂を掛けてくれて私の体全体が大きな砂山となります。が、しかし、その砂は熱いだけでなく、すごく重いのです。砂の熱と重さに耐えて、体じゅうがトックントックン鼓動し始めました。
 「10分を目安に自分で砂から出て下さい」と言われていたので、何とか10分は我慢しましたが、もう限界。10分目に砂を持ち上げて体を起こしました。温まったというよりも、体に悪いほど「重かった!」でした。
 翌日は観光バスに乗ってぐるりと回りました。コースの中に、知覧の「特攻平和会館」というのがありました。今ここで戦争に触れることには気乗りしませんでしたが、コースなので仕方がありません。何事も勉強です。
 知覧での特攻隊は、昭和20年の3月から6月までに飛び立ったということでした。昭和45年なんて、戦争が終わるほんの直前のこと。残念としか言いようがありません。
 ここに来た皆さんも同じように感じているのだろうかと、入館者の書き込みノートを読んでみたら、「特攻隊、かっこよかったです!」「日本のためにありがとう!」とか、コギャル文字の文章をいくつか発見。これもまた、あまりに残念。日本の若者は危険。(続く)

ニュージーランドの地震2011/02/23 23:46

 「ニュージーランドには友達はいないのですか?」と今日、ある人に聞かれました。それが二人ほどいるのです。ちょうど今いるはずなのです。
 二人とフェイスブックでつながっていたことを思い出して、今日呼びかけてみました。すると一人は今一時帰国中で東京にいました。もう一人はクライストチャーチにずっといたけれど、たまたま今は北島のオークランドにいるので大丈夫と言ってきました。
 というわけで、二人の無事が確認できました。PCのおかげで、今どこにいるかわからない人とすぐに連絡が取り合える便利な時代になりました。でももちろんPCのそばにいてくれなければ、全くどうしようもないのでが。
 私もニュージーランドには3回行ったことがあります。クライストチャーチは、きれいで安全で、人々が親切だったという良い思い出があります。だから今回の悲惨なニュース映像を見るたびに、かなりの衝撃です。どうしてあんなふうに建物が壊れてしまうものなのでしょうか。地震の多い日本にとっても他人事ではありません。

京都でもう一度夏休み2010/09/27 11:48

 昨夜京都から帰って来ました。京都は28度の夏でした。土曜日に到着してまず上着を2枚脱ぎました。帽子が必要だったと悔いるぐらいの青空で、最後にもう一度夏休みを楽しめた感じです。
 土曜日の午前中は市内でお寺を2つ神社を1つ見学。老舗の鰻屋で鰻丼の上に卵がのっている「きんし丼」を食べ、お茶の名店で「抹茶あんみつ」を食べました。普段あまり私の食べるようなものではありませんが、京都なのでちょっと頑張ってみました。
 でも実は京都にはコーヒーやパンやケーキなどのフランスみたいな店もたくさんあってこちらも魅力的でした。しかし今回はこちらは我慢。
 午後は彦根城を見学に行きました。お城は私の趣味のひとつです。もっとたやすいと思っていたのに、天守閣の階段が厳しくてヘロヘロになりました。降りる時はすべり落ちそうになり、靴下を脱いで裸足になりました。さすが井伊直弼、大変なお城です。
 と、ここまでは一人旅。
 夜は琵琶湖畔の雄琴温泉にて、某団体旅行に合流。知らない人たち90人で大宴会です。折角の琵琶湖ですが、宴会料理だったので何ひとつおいしくありませんでした。皿数だけは10も20も出て来たので、「量を3分の1にして質を3倍にすればいいのに」と初めて会った隣の席のおじさんに言ってしまいました。おじさんも笑って同意してくれました。
 翌日は、その人たちと京都の非公開のお寺や別荘などを見るツアーへ。ちょっと私には面白難しかったです。暑い中、たくさん歩いて久しぶりに水飲みまくりでした。まるで夏のような京都でした。

那須と日光2009/09/21 18:55

 昨日、用事があって那須に行きました。折角、東北新幹線に乗ったのならついでにと、日光に寄りました。那須と日光は実は同じ栃木県です。
 途中、宇都宮で東北本線から日光線に乗り換え、そこで宇都宮名物の餃子を食べました。今時の言い方をすれば、餃子は「フツーにおいしかった」です。土地の名物があるというのは大変結構なことで、「何を食べよう、この駅で」と迷うムダがなくて便利です。
 
 日光へ行くのは小学校の修学旅行以来です。その当時はまだ世界遺産に登録されていなかった「東照宮」に行くことにしました。
 駅からバスに乗ろうとしたら、ふつう7分で到着するところが「道が混んでいるので1時間かかる」と言われました。こういう時は、歩くのが一番よいのでしょうが、すでに午後2時をまわっていて閉門時間が4時半ということを考えるとそんな呑気なことを言っていられません。
 タクシー乗り場に行くと、「裏道を使って10分で連れて行ってあげる」というやる気満々の運転手がいたので、乗ることにしました。そしてちょうど10分で到着。おかげで日没までじっくり東照宮とその近辺を散策することができました。
 
 驚いたのは人の多さです。東照宮の境内は、「上様もびっくり」というほどの人、人、人でした。どこに入るにも何を見るにも、まるでディズニーランドのように並ばなければなりません。美しい門や建物を写真に撮ろうとしても、画面に必ず人がたくさん写ってしまいます。
 どうしてこんなにみんな日光に来るのでしょう。しかも、日光は高齢者の観光場所かと思っていたのに、若者と子供と外国人が多いのにびっくりしました。2回目の修学旅行という感じでした。

福島県三春町2009/04/17 23:06

(福島県の話のつづき)
 次の私の目的は、「ゆうゆうあぶくまライン」の異名を持つ磐越東線に乗ることでした。郡山からいわきまでの1時間35分の距離です。
 しかし、列車は2時間に1本。次のが来るまでにどこかで2時間をつぶさなければなりません。地元の人に聞くと、「それなら三春町へ行けばいろいろ見るものがある」とおしえてくれました。
 三春町と言えば、滝桜で有名な町です。しかし、その滝桜は駅から6キロ先にあるので、とても短時間で往復することはできません。三春町に到着したのが11時33分、磐越東線が出るのが13時31分。これだけの時間で一体何ができるのでしょうか。
 考えていてもわからないので、長老の意見を聞くことにしました。駅の観光協会の窓口にご老人スタッフが何人も立っていたので、一人のおじいさんに聞いてみました。「それなら役場まで行けば見所がかたまっている」と言って地図をくれました。
 「役場までは歩けますか?」と聞くと、おじいさんは「私は今朝役場から20分で歩いて来た」と言います。その瞬間、私は失礼にも頭の中で、「このおじいさんが20分かかるなら私は12分ぐらいで歩けるかな」と思いました。しかし歩き始めてみるとなかなかの距離。地図を見たら2キロもありました。むむ、おじいさんは健脚だったのです。
 2時間の持ち時間を、往復に40分かけ、残りの時間は早足で急坂を上って「桜谷枝垂れ桜」を撮影、また別の急坂を上って「お城坂枝垂れ桜」を撮影、そして名物料理屋に入り、この土地の名物である「三春そうめん」と「ほうろく焼き」を食べ、曇天の割りに夏のように暑かったのでビールまで飲んでしまい、大急ぎでギリギリで駅に到着。
 そしてついに憧れの磐越東線に乗ることができました。

ホテリ・アアルトへ行く2009/04/13 10:14

 福島県裏磐梯にある「ホテリ・アアルト」というホテルのプレオープンのイベントに行って来ました。本当のオープンは4月16日からで、まだどこにも宣伝していないということなので、現時点では完全に秘密のホテルでした。
 ホテルではなく「ホテリ」。デザインや家具が北欧風であることを考えると、たぶん「ホテリ」は北欧の言語なのでしょう。「アアルト」はスウェーデン語で波という意味だそうです。
 その関係かプレオープンに数人のスゥエーデン人が来ていました。露天風呂でスウェーデン美人と一緒になりました。「東京に来て2年、でも日本語は全然だめ」と恥ずかしそうに英語で言っていましたが、でも日本の温泉にはすっかり慣れている様子で、手順よくカランと内湯と露天風呂とを行き来していました。
 温泉の効能のトップに、関節痛や神経痛が書いてあったので、今の私にあまりにちょうどよいと、嬉しくなりました。効果が楽しみです。
 庭には磐梯山の噴火時にできた沼が二つありました。プライベート沼があるなんて面白いと思いました。「でも河童がいないからこれは池ですよね」と言っているお客さんがいたので、それはどこかのCMの受け売りではないかと突っ込みたくなりました。
 まだ雪が残っていて、朝晩が少し寒かったのでレストランの暖炉に火が入っていました。暖炉なんて久しぶりです。
 地元の食材を使った食事が出ると聞いていたので、苦手な山菜やキノコだったらどうしようかと心配でしたが、マスと会津牛がメインだったので大丈夫。おいしく食べられました。
 ホテルの真正面に真っ白な会津磐梯山が見えました。恥ずかしながら磐梯山がこんなに大きいとは知りませんでした。そして、翌日は近所の猪苗代湖へ行きました。これまた大きくてまるで海のようでした。
(つづく)