プロレス観戦2011/01/07 23:38

 1月4日に東京ドームでプロレスを見て来ました。午後4時半から9時半まで5時間も冷たく硬いドームのイスに座っていました。5時間もじっと座っていたら、エコノミー症候群のようになります。楽しいはずの試合観戦も、坐骨神経痛の私にとってはなかなかの苦行でした。
 そんなに苦労して何の試合を見たのかと問われても説明に窮します。全部で13試合あったのですが、たぶんプロレスファンでない人たちには一人の選手の名前もわからないと思います。アントニオ猪木やジャイアント馬場の時代が終わってからというもの、最近のプロレスラーは世間的に無名です。
 「誰のファンなのですか?」と聞かれて、私が「新日本プロレスの棚橋」と答えても、「タナハシ?」と繰り返されてしまい、今までに誰も棚橋を知った人はいませんでした。でも、この棚橋選手が今回のメインイベントでベルトを取った新日本プロレスのエースなのです。
 試合後、観戦した仲間と新年会をしました。そこでまた2時間座っていたので、私はその日座っている時間だけでハワイに到着できたと思います。そんなお正月のドームでのプロレス観戦プラス新年会も今年でもう20年目。20回の1月4日だけで、すでに世界一周できちゃうほどすわり続けたことになります。

大相撲中継反対の反対2010/07/06 23:58

 今晩のニュースで、NHKが大相撲中継を中止すると言っていました。NHKに寄せられた意見の68パーセントが中継に反対しているというのです。
 私はこれは違うだろうと思いました。この反対している7割の人たちの一体どれだけが普段から相撲を見ていたのだろうかと。こんな心ないことを言う人たちは、たぶんもともと相撲なんて全然見てもいないか、ニュースでちょっと見るぐらいの人たちだと思われます。
 街頭インタビューであるおばさんが、「一生懸命やっているお相撲さんがかわいそうよねえ」と言っていましたが、こういう人も全然わかっていないと思いました。
 中継が中止になってかわいそうなのはお相撲さんよりむしろ、私のように相撲を見ることを楽しみにしている視聴者の方です。
 これで大相撲も、プロレスと同じように入場券を買えるお金持ちの人たちの娯楽になってしまうのかと思うとがっかりです。

アントニオ猪木を見る2010/05/25 10:26

 昨日の昼過ぎに、私はさる役所で書類発行の順番を待っていました。「一人平均の待ち時間は20分」と書かれていたので、「そんなに待つのか、いやだな」と思った途端に、私の目はロビーに置いてある大画面テレビに吸い寄せられました。そこには白いスーツに赤いタオルを両肩からかけているアントニオ猪木の姿が。
 これはNHKの「スタジオパーク」です。そうか今日は猪木さんがゲストだったのか。これはしまったと私はあせりました。毎朝必ず新聞で、「はなまるカフェ」(TBS)と、「スタジオパーク」(NHK)と、「徹子の部屋」(テレ朝)のゲストだけはチェックしているのに、たまたま昨日は見逃してしまったみたいです。
 わかっていれば録画してきたのに、これは大失敗です。不幸にもその役所のテレビは、画像のみで音声なしだったのです。仕方がないから私は、今はたぶんこんな話かな、などと想像しながら見ていました。リング上での「イチニイサン、ダー!」をやっている猪木さんの画像が出た時には、一緒にコブシを上に突き上げてしまいそうになりました。
 が、しかし。退屈そうに順番待ちしている他の人たちは誰一人として画面を見ている人はいませんでした。「みんな、見ようよ。猪木さんだよ」と声を掛けたくなるぐらいでした。私は、自分の番号を呼ばれた時に我に帰るのが大変なぐらいでした。今でもまだ猪木さんは私にとってスペシャルな存在みたいです。

プロレスで叫ぶ2010/01/06 20:20

 昨年、忘年会後の2週間、私の声は嗄れていました。自分では「今年はまあまあの忘年会だった」ぐらいに思っていたのですが、こんなになるまでに大声出して騒いでたとなると、余程楽しかったのでしょう。
 自分のしゃがれた声を聞きながら、同席した人たちには大変申し訳ないことをしたものだと反省。さぞうるさかったことでしょう。
 仕事で声を出すたびに、お客さんにそんな醜態がばれたらどうしようかとおびえていました。でも幸い、「どうしたのですか声?」と聞く人もいなかったので、「ちょっと忘年会で」という恥ずかしい答えをせずにすみました。
 そして新年。1月4日は毎年参加しているお正月プロレスの観戦です。会場は東京ドーム。レスラーの名前を叫びたいところでしたが、ドームは広いので、相当に大きな声で叫ばなければリングまで届きません。
 でもここは我慢です。なぜなら翌日は私の仕事初めだからです。初日から「声どうしたのですか?」「ちょっとプロレスで」と言うのはどうかと思ったのです。それでも、興が乗って来た時に、何回か叫んでしまいました。
 でも大丈夫。翌朝、恐る恐る声を出してみたら、ほとんど普通の声でした。ああよかった。

久しぶりのプロレス観戦2009/08/30 23:18

 今日久しぶりに後楽園ホールに新日本プロレスを見に行きました。
 あるレスラーが最後にマイクを持って「今日は他のプロレス大会もあったし、衆議院選挙もあったし、24時間テレビもあったし、そんな中でここをチョイスして来てくれてありがとう!」と言っていました。いえいえ、そう言ってもらえるとこちらも感激です。
 プロレス仲間のTさんが新しいプロレス少年を連れて来ました。少年いわく「会場でプロレス観戦するようになってまだ2年にもなりません。こんなメジャーな大会に来たのも初めてです」と。その割に、プロレス知識は豊富、掛け声も大きく、堂々たるものでした。人気が下降しているプロレスの世界に、こういう少年が新たに育ってくれているとは頼もしい限り。Tさんに、「こんな少年あと30人ぐらい育てて下さい」と言っておきました。
 帰り道で少年が、「声が嗄れちゃった」と言っていたので、「いいじゃない、明日みんなに、プロレスで声が嗄れちゃったと自慢しなさい。カッコイイよ」と言ってあげました。実は、私もちょっと声が嗄れました。でも私の場合、社会的にヘンだと思われてはいけないので、とてもそんな自慢はできません。

三沢選手の訃報2009/06/15 23:36

 土曜日の晩、プロレスラー三沢光晴が死去しました。試合中に相手のバックドロップを受けて立ち上がれず、運ばれた病院で帰らぬ人になったといいます。死因は「頚椎離断」と今日、発表されていました。
 三沢といえば、28年のキャリアを持つたぐいまれな運動能力と人気を誇るベテランレスラーです。今年の3月までは、三沢が社長であるプロレス団体「ノア」のテレビ放送があったのですが、打ち切りになってしまいました。最近、私はプロレス会場にほとんど行かないので、番組がなくなって以来、三沢の姿は見ることもなくなっていました。
 プロレスでは、選手が怪我をしたり失神したりして、試合後に担架で運ばれて行く姿はよくある光景です。自分のヒイキにするレスラーが担架で退場したり、病院に連れて行かれたりするたびに、ファンはざわめき興奮するものです。でもその後すぐにまた、元気な姿を見せてくれるので、「さすがプロレスラーは鍛え方が違う」と脅威の回復力に感心したりします。
 たぶん今回も会場にいた人たちのほとんどが、最初のうちは「大丈夫、三沢だから」と思って見ていたはずです。でも、リング内で伸びている三沢選手を囲む他選手たちの異常な様子に、「これはいつもとは違うかもしれない」と危険を感じたと思います。でも、そんな最悪な状態からかつてアントニ猪木や馳浩が生還したことを思い出して、無事を祈りながら家路に着いたはずです。
 私も日曜日の朝にその訃報記事を読んで、とても信じられず何度も記事を読みなおしました。頭の中で、あの「三沢」選手であること、文体が「死亡した」と過去形になっていることを何回も確認しながら。
 すごくいやなショックを受けてしまったので、日曜日はスポーツ新聞を買うことができませんでした。今日ようやく、日刊スポーツと東スポを読んで、詳細を知りました。何度読んでも驚きは消えません。言葉もありません。ただもう合掌するのみです。

1.4東京ドームプロレス2009/01/05 14:51

 昨日は東京ドームにプロレスを見に行きました。1992年に新日本プロレスが毎年1月4日に東京ドームで興行をおこなうようになって以来、私は全参加。皆勤賞です。
 昨日のメインは武藤敬司VS棚橋弘至のIWGP選手権試合でした。と言っても、プロレスファン以外の人にはあまりピンとこないと思います。どうしてそんなものに4万人(新聞にはそう書いてあったが、もっと少なかったような・・・)も人が集まるのか不思議に思われるかもしれません。でもこれはプロレスファンにとって新年の大切な行事なのです。
 結果としては、ひいきにしている棚橋選手がベルトを取れたので私は気分爽快。棚橋選手は32歳、プロレスファンでない人が見てもカッコイイ青年です。時々クイズ番組などでテレビに出ているのを見かけますが、売りようによっては一般社会でも有名になれると思います。世間でのプロレス記憶はいまだに馬場、猪木のところで止まっているので、棚橋選手にはぜひ現在のレスラーとして有名になって欲しいです。

おめでとう、京子ちゃん2008/08/17 19:52

 昨日ようやくスマップの新曲シングルCD「この瞬間、きっと夢じゃない」を買いました。TBS系北京オリンピックテーマソングです。
 今日のオリンピック観戦はレスリングを見ました。浜口京子が銅ではあるけれどメダルを取れて嬉しかったです。
 その昔、レスリングの東京都大会へ行き、大声出して京子ちゃんを応援したことがあります。あとで人に紹介してもらって京子ちゃんに挨拶に行ったら、あの有名なお母さんに「ホントに応援していただきましてありがとうございます」と、深々頭を下げられて大変に恐縮した覚えがあります。
 それからもずっと遠くから京子ちゃんを応援してきた私としては、今日のこれでレスリング大会から解放させてあげたい気がしました。いよいよ念願のプロレスラーにならせてあげる時期なのではないかと。でも京子ちゃんも30歳、今となったらもうプロレスラーへの夢はなくなっているかもしれませんが。
 これで来週はまたテレビで、喜びの浜口ファミリーを見ることになりそうです。

ペタス、アメリカ人になる2008/06/13 11:18

 月曜日に録画しそこなったドラマ「CHANGE」をI子さんに貸りて、昨夜ようやく見ることができました。
 驚くべきは極真空手のニコラス・ペタス。アメリカの通商代表という役柄で出演していました。ペタスはもともとデンマーク人ですが、日本で暮らしているので日本語がペラペラ。空手ではいつも日本語で話しているのに、ドラマの中ではアメリカ人として英語で話していました。何かとても新鮮でした。
 アメリカ人なので和室で正座ができなくて足をくずす、というストーリーなのに、空手家ペタスは他のどの日本人出演者よりも立派な正座姿でした。さすが空手家。
 第5話にきてストーリーも思ったより面白くなってきたとちょっと満足した昨夜でしたが、今朝起きてみたら、今週の「CHANGE」(19.3%)はもう昨日放送の「ラスト・フレンズ」(20.7%)に視聴率を抜かれていました。これはがっかり。
 実は今週の私は「CHANGE」を生で見ずに、昨夜の「ラスト・フレンズ」を生で見たので、本当は何も言えた立場ではないのですが。

失言しないように注意をする2008/03/02 20:06

 親戚に太った少年がいるので、つい私は「相撲やれば?きっと強くなるよ~」と言ってしまいました。「・・・」、少年もそのお母さんも沈黙でした。
 すぐに、「しまった、相撲に理解のない人たちにはこういう発言はいじめになるのかもしれない」と気づきました。相撲ファンの私にとっては、親戚にお相撲さんになれそうな子供がいるなんて誇らしいことだと思ったのですが、でも世間では必ずしもそうではないので気をつけなければなりません。
 また某会社に「イノサキ」さんという新入社員がいます。私は彼の名前を呼ぶ前に一度心の中で「イノキ、ボンバイエ」と一小節歌ってから、「イノサキさん」と呼んでいます。でもこれはできるだけ声に出さないように注意しています。
 アントニオ猪木信者の私は、「イノサキ」さんを呼ぶ時の「イノキ、ボンバイエ」はドキドキの興奮ですが、「イノサキ」さんにとってはそうではないかもしれないからです。むしろ、小さい時からその苗字ゆえに「やい、イノキ!」なんて言われていたとしたら、折角の新しい職場がいやな感じになってしまいそうです。今度ぜひ「イノサキ」さんと格闘技話をして、そこのところが喜びかどうかを確認してみたいと思っています。