本当に揺れました(第一話)2011/03/13 11:08

 消息をたってしまい、ご心配をかけました。長い2日でした。いろいろありました。前の地震の話を書いた数時間後、もはや「目まい」と間違えるはずもない程の激震にあいました。
 
 午後2時から私は横浜のオフィスで中学生と勉強していました。すると2時45分、最初はカタカタ、「あれ地震?」という感じだったのに、やがてグラグラ大揺れしてきました。
 中学生に「もぐろうか」と言って、二人で机の下で四つんばいになりました。小さくて古いビルの7階だったので、建物自体がものすごい音を立ています。オフィスのスチール棚が次々に倒れ、カウンターも倒れ、額が落ちて割れて、本や資料が床に散乱しました。居合わせたお客さんたちが「うそ、まじ?何コレ!」と叫んでいました。
 子供の頃から常に「大きな地震がそろそろ来るかもしれない」と言われて今日まで生き延びて来たのに、よりによってこの古いビルにいる時に大地震に会うなんて。全くついていないとしかいいようがありません。絶対のこのビルは壊れると思いました。
 やがて大揺れはおさまったものの、細かな揺れは止まりません。誰かが「外に逃げよう」と言うので、みんなで外に出ることになりましたが、私は気乗りしませんでした。外の方がずっと危なそうだからです。窓から下を見ると近所のビルの人たちがみんな外に逃げたらしく、通りは人で一杯でした。
 非常階段を使って外に出ると、やっぱりもっと恐いことになっていました。隣のビルの足元からは水が噴出していました。歩道には隆起している部分がありました。駐車場は陥没してトラックが車輪ごと地面に沈んでいました。ガラスが割れたのかガラスの破片も落ちていました。
 どこに立っているのも危ない状態でしたが、ビルから離れようとすると反対側は川です。でも、すでに川の水位もいつもの何倍に上がっていました。
 そうしている間もずっと揺れていましたが、やがてまたとても大きな地震が来ました。こんなに隆起したり陥没したりするような地盤に立っていることが恐しく私はしゃがんで四肢を踏ん張りました。
 この時点で、誰の携帯電話も使い物にならなくなっていました。誰にも電話できないし、情報を見ることもできません。みんながパニックって道路に出たり川辺に立ったり、絶対に間違った逃げ方をしているのに、それを指導してくれる防災のアナウンスや誘導がないのです。横浜市は何をやっているのだろうかと、揺られながら私は不満がつのりました。
 鎌倉では日常的に、「防災鎌倉」という一斉放送が街に流れて、天気や災害の指示をしています。街のあちらこちらにそのスピーカーが埋め込まれているので、家の中にいても庭にいても聞こえるようになっています。
 横浜は大都会であるだけでなく、いろいろ新しいことを試みるような進んでいる街だと思っていました。しかも関東大震災の時にほぼ全滅した街ですから、過去の教訓もたっぷりあるはずです。この時点で電車が止まっているかどうかもわからないので、一緒に逃げてもらっているお客さんたちを帰したらよいのかどうかさえ判断できません。そして自分たちがどこに行けば安全なのかわかりません。駅に行くということは海に近づくということだから危ないのかもしれませんが、その時点では誰もそういう知識はなかったと思います。(つづく)

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